読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おがさわらなるひこのオープンソースとかプログラミングとか印刷技術とか

おがさわらなるひこ @naru0ga が技術系で興味を持ったりなんだりしたことをたまーに書くブログです。最近はてなダイアリー放置しすぎて記事書くたびにはてな記法忘れるのではてなブログに移行しました。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
特に断りがない場合は、本ブログの筆者によるコンテンツは クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

ネットにおいて情報のS/N比を向上させる努力をするべきか?

こういう日記らしい日記はあまり書かないんだけど、問題意識を共有(結果としての行動を共有しなくてもいいけど)する人がいるとうれしいので書いておきます。


私のネット感の根元にあるのはやっぱり fj です。
基本的には本名、あるいは固定ハンドル*1 で話すのが当然。
それぞれいろんな思いなり知識なりを持って話すのだけど、あまりにもバカな発言にはツッコミが入るし、それ以上にバカな発言を繰り返している人はだんだん誰にも相手にされなくなる。
それぞれハンドルに信頼を積み重ねていって、そこそこ信頼を得られるようになった人が、相互に情報の訂正を行いつつ、ネット全体の情報の信頼度を上げていくというか。
やや美化しすぎな気もしますが、そんな世界観が自分の理想としてあります。

固定化したハンドル(ってのも矛盾した言い方だけど)についても同じようなことが言えるんだけど、ハンドルはハンドルだから自由勝手なことをいっても実人格と切り離されてるから構わない、という価値観の衝突が、NIFTY-Serve との交流時に起きた軋轢なのかなと思っています。
実際はそんなことなくて、あまりにもバカなことをいうハンドルの人は相手にされなくなるという構図は同じだったと思うんですが。


一方で、2chのような匿名文化では、固定ハンドルは一種の逆差別の対象というか、「コテハンは叩かれやすい」という文化がありますが、これは、コテハンであることにより信頼を蓄積したり、失ったりできるから当然のことなのですが、あまりにも攻撃が熾烈であるため、ただでさえ議論に慣れていない多くの日本人(自分含む;私は2chには書き込んだことはないですが)は心が折れて名無しになってしまうように見えます。

一方名無しさんたちは基本的に信頼を積み上げることができないので発言一個一個で評価されるしかないんですが、どちらかというと情報の確からしさよりセンセーショナルな発言、誰かを叩きやすい発言だけが一人歩きする傾向が多いように思います。まとめサイトとか見ると。
そしてこういう文化の人たちはあんまりSかNかを意識してない。というか、有用だから、事実だからS、そうでないからN、という基準じゃなくって、単純に面白いか、自分のもやもやを代弁してくれているかで決めているような気がしています。いや、私の感覚だからむろん間違っているかもしれませんけど。


そこらへんを横目で見ながら来た私としては、一般に、S/Nを上げようと広くアピールすればするほど、S/Nの感覚が近い人ほど、「これがNになったらどうしよう」と遠慮する、あるいは変なことを書いて叩かれたら怖いと萎縮してしてしまって有益な情報を自分のブログとかに溜め込むことになったり、あるいは名無しでつぶやくようになってしまう気がしています。これを私としてはとってももったいなく感じています。
ので私の「迷ったらBTS」「文句があるなら見えるところで言おう」「間違いを恐れずに情報発信しよう」「あなたの発言に価値があるなら、多少間違っていても誰かが助けてくれる*2」とかいった呼びかけは、ここの層の人たちに向けられています。
これは価値観の押し付けと取らないでくださいね。単純に「もったいない」という個人的感情の露呈なので。受け手がどう感じるかは私には制御できませんが。


そして、S/Nを向上させようという試みはNな発言を繰り返す人たちにはほとんど届かないんじゃなかろうかというのが、私のほぼ絶望的な観察だったりします。
ということでこの場にいる人にはいかなるメッセージを伝える気もないですし、多分私の発言も届いてないんじゃないかとタカをくくっています*3


ただ困るのは検索エンジンの普及で、ほんとーにどうしようもない間違いや偏見に満ちた発言であっても、拾われてしまい、あまり詳しくない人の目に入ることで、それがさらに間違いの再生産につながることですよね。
かといってそういう発言をすべて訂正して回っていては訂正側のリソースが無限にあっても足りない。
私としては、さっき書いた「十分に公の場で議論できるだけのレベルがあるのに、遠慮や萎縮して出てこない人」がSEO的に引っかかりやすい場所で発言することで、こういう勢力に対向できるようになるとうれしいな、と思ってるんですけどねえ……。


あんま整理されてませんが、まあ、自分の行動原理を解説してみましたよと。


補足

あとからちょこちょこ追記するところが頭の悪さを現しております。

1.

あーもちろん、神ならぬ私ごときでは、理想理念のために行動しても意味がないことは承知しております。当然、すべての行動は自分基準で行っているつもりです。

ただ、私は自分という基準点があまり明確でないので(もっと分かりやすく言えば自分が嫌いだし、自分を信じていない)、自分に取っての喜びというのは外部的な判断基準に依るしかない。
つまり:

  • 野次馬根性的に、いろいろなことを知ること(基準は「量」)
  • 科学や技術などのように、正しい、正しくないがある程度厳密に判断できるものにおいて、自分の知識が正しい方向に洗練されていくこと(基準は「質」)
  • 自分の行動が誰かの役に立っていることが確認できること(基準は「他者による確認」)

とかそんな感じ。「人のためになりたい」わけじゃなくて「自分の行動の確からしさの基準として人のためになっているかどうかを知りたい」だけなのです。

逆に言うと「自分がすべてだし、それでいいじゃん」といえるだけ自己を確立してる人が羨ましいですね……。(2010.03.28 追加)

2.

とはいえ、私自身があまり頭がいい方ではなく(謙遜ではありません)、感情的で、思いつきで言動に移すタイプであることは私自身も知っています。
だから「お前立派そうなこと言ってるけどちっとも行動と一致しとらんやんかー!」といわれりゃーその通りと答えるしかないです。その点はスミマセンというしかないですね……。(2010.03.28 追加)

3.

えっと、誤解を受けそうだなーと思って追記するのですが、ぼくが上で「あまり意味がない」といっているのは「自分がノイズだと思ってない人をノイズだと認識させる」行為で、それは割と労多くして報われないなと思っているのです。
一方、「いいか、おまえらな、こういうのは嘘っぱちだから気をつけろよ!」と多くの人が見ているところで晒し上げにすることは、啓蒙という意味があると感じています。(2010.03.31 追加)

*1:話題それますが私は「ハンドル名」という言い方があまり好きじゃないですが、日本語として定着しちゃいましたね……。

*2:私自身のブログもときおりコメント欄やブックマークコメントなどで間違いのご指摘をいただきますが、これは訂正するだけの価値があると認めてくださっていると思っており、ありがたく感じています。

*3:その考えは甘すぎる、実際悪影響を及ぼしている例がある、というなら、すみませんと謝るしかないです。