Tさんをそれと意識して接点を持たせていただいたのは、2012年12月3日のことでした。実はまだ1年ちょっと前のことなんですよね。間違いなく、読者としては読んではいたとは思うのですけど。
身内の恥を晒すようですけど、2012年にベルリンで行なわれたLibreOffice Conferenceのレポート、ITProさんに掲載いただく旨約束を取り付けたまま、原稿未提出のまま著者と連絡が取れなくなっちゃったんですね*1。
で、今年のレポート今年のうちに、ということになりまして、同じくカンファレンスに行った自分が巻き取るしかねえなあ、でもぶっちゃけ私はTさんの会社はあんまり好きじゃなかったということもあり、えー、俺編集さんに連絡すんの? かったりーなー、と思いつつ(ごめんなさいごめんなさい)、こんなメール入れたんですね。
LibreOffice 日本語チームの小笠原と申します。
お世話になっております。
○○のほうから題記レポートを掲載させていただきたい旨の提案、ご快諾をいただいたようでありがとうございます。
しかし○○のほうが今いろいろと手放せないことがあるようで、私どもの方に提出したという報告がありません。レポートはナマモノですので、もしそちらから榎の方から原稿が届いていないようなら、至急草稿を遅らせていただいた上、最終稿を木曜朝提出で、可能なら週末までに公開という形を取らせていただければと思うのですが、大丈夫でしょうか?
今読んでも「今まで連絡してなかったけどtake overしたい、でもこの日までにリリースしたい」とまあ、こっちの都合だけを言い立てるひどいメールで、今読み返すと顔から火が出る思いです。
でもTさんはとても丁寧に対応してくださり、こちらの無理なお願いも聞いてくださった上、サブタイトルの選び方一つとってもすごく気を配ってあって、気持よく書かせてもらえる編集さんだなあって思ったのをメールを読み返しながら思い出しました。今から考えると何を云うておるのだと思うのですが、まあものを知らないというのは恐ろしいことです。そのときのレポートはこちらですね。
その後、LibreOffice日本語チームのインタビュー*2 でお世話になったり、この記事のメッセージ性というか「熱さ」に、自分がやりとりしたときの温和な印象とはちょっと違う感じを受けたり、我らがCalcハッカー吉田浩平さんのインタビューをふむふむと読んだりとか、意識してTさんの記事を読むようになりました。
あ、もうひとつ、この記事もTさんにお願いして無理やり載せてもらったんだった。こちらから売り込んだ記事であるにも関わらず、お忙しいところいつものように丁寧にご対応いただいたのでした。
そんな中でなんといっても強烈な印象を残したのは山形県庁さんのMS Office移行についてのフォローアップ記事ですね。この件、LibreOfficeコミュニティ内で事情を知ってそうな人ももにょもにょして「事情あるんだよねー」ぐらいしか言ってくれなかったところの記事なので、なんというか、うーん、ありきたりな言い方だけどもジャーナリズムとして素晴らしい仕事だとすごい感銘を受けました。この記事一本だけでも、我々はものすごい借りを作ったと思います。
というわけでTさんとはそれほど付き合いがあったわけではないのですが、たった1年という時間とは思えない思い出がいっぱいあります。私はみなさんみたいなカッコイイこと言えないのだけど、Tさんの抜けた穴というのはものすごい大きいってのは私でも今は理解してます。そしてものすごい恩を受けたまま旅立たれてしまったので、この恩をご本人にお返しすることはもうできないので、社会に対してFLOSSの、そしてLibreOfficeの力を使って貢献していくことが恩返しになると思っています。
Tさん、いや、ITProの高橋信頼さん、安らかにお休みください。
心よりご冥福をお祈りいたします。