父が亡くなりました
某Facebookに書いたらクソ長文になっちゃって、私はFacebookというサービスというかメディア*1 をあんまり信用してないんで、ちょっとアレンジしてこっちにもおくことにしました。
TLDR
このギョーカイ(特にOSSな世界)独身で年老いた両親がいるって人も増えてるかもしれないので手短に我が家がラッキーだったことを書いとくと、事前にやって置けることとしては:
- 生前に葬儀屋の会員サービスに申し込んでたこと
- 同じく空っぽだけどお墓を持っていてお寺が決まってたこと
で、自力では何ともできないけどラッキーだったことは:
- 言語障害を患って施設に長いこと入っていたので、プライベートの付き合いがほぼなく家族葬だと事前に決められていたこと
- 一度事業に失敗して自己破産をし、不動産は私の所有になってたので、遺産は普通預金しかなく、また兄弟仲も悪くないので遺産相続がもめそうにないこと
ですね。やっておけばよかったなあってことは:
- 生活インフラの名義人変更は、生前時間があるうちに
- 亡くなったときに連絡を取るべき人たちを一覧にしておいて、常にカバンにいれておくなり、非常持ち出し袋的にイザというときに持ち出せるようにしておくこと
- 親戚としてお通夜や告別式に参列する人でもお食事に出てくれるとは限らない、けち臭いことをいえばお食事に参加いただけるかちゃんと確認しといたほうがお財布にはやさしい
ってな感じでした。
disclaimer
- この記事は人が死ぬということに伴うバタバタを描いて、あわよくば皆さんがそこから得るものがあればなという意図で書いてるものです。
- ご愁傷さまとかそういうご挨拶だけのコメントはいらないです。自分の体験を踏まえて自分のときはこうで大変だったなあとか、こんなことは参考になったなあというコメントは大歓迎です。
では、クソ長本文の始まり始まり~~。Facebookからのコピペにちょっと加筆した程度なので、それFacebookで読んだよ、という人は記事ごと飛ばして大丈夫です。
……以下、Facebookからのコピペアレンジ……
11/8、月曜日に父が亡くなり、疾風怒濤で昨日通夜、本日告別式と初七日の法要と火葬を終えてお骨になった父を抱えて帰宅しました*2。 いやーーーーくたびれたーーーーー。
週末明けた月曜日、朝ごはんたべるかー、それと並行してコーヒーでも淹れよう……と、準備してるところに唐突に入電。 父の入院先からで、もうすぐ心臓が止まりそうなのですぐ来てくれと。とりあえず家族LINEにその旨だけ入れ、 会社に今日は休むことになるので打ち合わせ対応などお願いしますの連絡を入れて、猛ダッシュで病院に向かいましたが、 到着したときには心停止のアラートが鳴りっぱなしになっている父が。 その場でお医者様が死亡宣告出していただき、臨終ということになりました。死亡時刻は7時47分だったかな。 でも、まだ体が暖かいうちにお別れできただけでも幸運だったと思います。
もともと2回の脳梗塞を経て言語障害と左半身のマヒを抱えており、施設に入ってもらっていましたがそこの施設とは相性がよかったらしく、 本人も機嫌がよさそうでしたし、施設の職員さんからも(リップサービスかもしれないですが) 小笠原さんはやさしい、ほかの入居者さんのことをいつも気にしてくれている、と言ってもらっていて、穏やかに暮らしていました。
公務員を長くやったあと事業を始めて大やけどをして(わたしの父親ですからね、商売ができるわけがない)自己破産をして、 実家を父親から私が住宅ローンを組んで買い取ることにより抵当から抜くみたいな荒業をしたりしました。 そこからはしょぼくれた日々を送って、病気にもなり苦労もしたし老々介護で母親もメンタルが死にそうでしたが、 施設入りしたことでQoLが上がって、ああ、こういう穏やかな日々が来て本当によかった、と思っていた中。
コロナ禍で施設に面会にもいけない日が続くなか、今年の1/3に誤嚥性肺炎で入院したとの連絡が。 あわてて駆け付けたものの病院ももちろん面会不可なのでなにもすることはできず。 唯一できたことは、「万が一のことになっても延命措置はしないでください」というお願いをしたことぐらい。
そこからどうしても痰が切れなくて飲食ができない状態になって経鼻栄養になりましたが、 数か月経って家族で取った励まし動画を見せたらにっこり笑う程度に回復して、 このまま回復してまた口からモノ食べられたらいいなあって言ってたんですが(食べることがホントに好きな人だったので)。
夏場に一度悪化したときから酸素吸入も取れなくなって、 秋からビデオ面会が可能になったんですがそのときにはこっちの呼びかけにも反応しなくなっていて、 ああ、もうこのままこの病院で最期を迎えるんだな、という覚悟はしました。
ただ、11/10って父の誕生日で、今年で米寿なんですよね。なので次の面会は11/10にして、 家族でビデオメッセージ取って差し入れでもしようか、って話をしていた矢先のことでした。 あと二日頑張ってくれたら米寿だったのに……とは、言えないですね。 本人苦しそうなのずっと見てきたので、あれ以上頑張れとはとても言えない。 とりあえず頑張ったね、おつかれさまだね、といって、はてこれからどうしよう、と……。
幸いなことに生前に、 某葬儀屋グループの前払い会員的なものになっていたのですが、 なにしろ慌てて出てきたのでそこの会員向け書類なんかもぜんぶ置いてきたわけで。 私も母も、そもそもなんて葬儀屋さんと契約したのか覚えてない。
一方で病院からは霊安室を使える時間は限られてるのでなるはやで葬儀屋がいつ来るかを知らせろといわれ、 記憶を手繰って検索して出てきたところに電話をして「ウチってそちらの会員ですか?」から始める始末。 結果としては一発目からアタリで、すぐに人を寄こしていただくことになりました。 会員に入ってなければまず葬儀屋さんを決めないことには遺体の引き取りもできないので (いや、ウチの車なら普通に運べるしウチに置いておけるよ?って人は除く)、 事前に会員になってたことで、決めるべきことが一つ減ってよかったです。
で、遺体を引き取ってホールで安置いただいた上で、お葬式の段取りを相談することに。 わたしは一応長男なので(末っ子ですが)、母とどっちが喪主やる?って話になったのですが、 わたしは親戚やご近所とのお付き合いがほとんどないので、 母にはそちらの対応を任せるとなるとわたしがやるのがまあ合理的なので、喪主ってことになりました (我ながら頼りなさそうな喪主だ)。
でも喪主ってなにやんの? よくわからん。(幸いなことに)経験ないし身近で葬式を出した経験もない。 でも、事前に入っていた会員制度は、基本はパッケージになってて、オプションを足していくだけというわかりやすいサービス構成。 しかもスケーリングも考えて香典返しなどは多めに用意して使った分だけで後日清算、という便利さ。 お通夜の後のお食事会も近親者以外は会食で提供する食事の代わりになるお米をお渡しすることができる(これも使った分だけ)とか、 いやーサービスとしてよく考えられてるわ。 そして「一生に一度のことだから」といってついついオプションを足してしまうお気持ちをうまく利用したご商売が巧みですね(誉めてます)。
でまあさっき書いた通り11/10は父の米寿なので、単なるお別れの会じゃなくてできなかったお祝いの会にもしたい、可能なら11/10、11の日程だとうれしいと。 それは葬儀屋さん的には可能だけど、お坊さんの手配次第で、 ウチは(中身空っぽだけど)いちおうお寺さんにお墓持ってるのでそこの住職さんに聞いてほしい、とのことで、電話かけてもずーっと留守電。 どうしようか……と考え込んでたら葬儀屋さんが
「10、11で決めましょう! 米寿のお祝いを兼ねるってことは大事にしたいです。お坊さんは、もし都合がつかなかったら同じ宗派のお坊さんに相談してくれるとかもあるので何とかなりますよ!」
と言ってくれたのでハラを決めて、10日お通夜、11日告別式という日程にしました。
でもお坊さんが捕まらないの困るな……よし! お寺に直接うかがってみよう!30分もかからないところだし! ということでクルマに飛び乗り向かって、あと5分で作ってところで入電。 「すみません電話遅くなりまして……」 「あ、今そちらに向かってて、直接お話ししていいですか?」 「え、そうなんですか??ではお待ちしてます」ということでお寺に到着。
「えっ、日程決めてきちゃったの? まあ、それならなんとか都合はつけますよ……」と戸惑ってた住職さんですが、 父の出身が青森の奥入瀬渓流の近くだって話で「あそこは私も行きましたけどほんとにいいところですよね」みたいな話で盛り上がって、 「じゃあ奥入瀬から字を取って戒名作れないか考えてみます」ってことになって、結果的には襲撃してよかった。 最終的にはやっぱり会ってご相談したほうが、電話よりもずっといいと思います。 私初めて住職さんとお話ししたんですけど、さばけたよい人で、あーこの方なら任せても安心だなと。
翌11/9は友引なので何もない日なので勤務日にしたんですが、 我が家は電気ガス水道CATVなどの契約が全部父名義だったし父の口座からの引き落としなのでこれをなんとかせないかん。 もっと早くやっておけばって感じだったんですが、なんか父の死が近いってことを予期して動くのが気持ちよくなくてズルズルと引っ張ってきちゃったんですよね。 でもさすがにまずい。ということで仕事の隙間で、こういう関係とか保険とか年金とかそういうたぐいのところに電話をかけまくる必要があり仕事が進まない。 その予感はあったので朝5時起きして頑張ってたんだけどそれでも進捗出ない(そういう日に限ってチャットの問い合わせ対応が多かったりしてね……)。 私の仕事ってほぼ私一人でやってることが多いので、金曜までにやっておきたいことは火曜日までに終わらせなきゃいけないので、夜も12時まで仕事して3時間睡眠で、 お通夜当日の10時近くまで仕事してようやっと終わりました。やれやれ。
あともう一個あって、じつは日曜日に若くして亡くなった知人の告別式に行ってて、そのあと礼服クリーニングに出しちゃったんですよね。 で、これを取りに行かないといけない(クリーニングだしたのが日曜当日でよかった)。
あとさすがに喪主が二日続けて同じYシャツってのはどうかなと思いつつも白いワイシャツは1枚しかアパートから持って帰ってこなかったので買ってこないといけない。 そんなわけでこれも火曜日の夕方回収したり調達したりしました。綱渡りだな。
それ以外にも、例えば父の遺影と会場投影用の思い出写真を選んだりフィルム時代のやつはスキャナで取り込んだり、 家族LINEで相談したり、そういう写真データや、保留にしてた注文の類を葬儀屋さんに連絡したり、 まーいろいろと忙しすぎて、悲しいとか寂しいとか思う暇がなかった。うーん親が死んでもこんなもんか、自分案外つめたいやっちゃな、そんな風に思ってました。 で、お通夜までは時間があったので、屋根にカヤック積んだあんまり汚いクルマで喪主が乗り付けるのもなあと思って、 カヤックおろして久しぶりに洗車して、あと葬式ってカード払いとかダメで現金一括が多いので銀行行ったりして。 お通夜の15時ぐらいまではそんなことをギリギリまでやってました。 ほんとバタバタやな。
んでお通夜なんですが、長いことOSSのイベント手伝ったり主催したりしてたせいで、どこか手すきのところがあると気になってしょうがない。 受付頼んだ姉貴が、プチカメラ趣味なので張り切って写真撮ってるなか(思い出になるので写真撮ってもらうこと自体はありがたい)、 なぜかわたしが受付に立って受け取ったお香典を抱えてドキドキして、喪主なのにろくに会葬者に挨拶もしてないというですね。喪主ってなに……概念? まあでも祭壇のお花はすごいいいチョイスだったし、 「米寿なので赤いちゃんちゃんこをイメージしてポイントで赤を入れてほしい」「青森県人なのでリンゴが好き」みたいな要望にもばっちり、応えてもらって、 遺影の写真も素敵に仕上げてもらって、あーすごいよい式になりそうだなって。
で、お願いして、最後に喪主の挨拶をさせてもらうことにしました。 ぶっちゃけそれで緊張してて手汗がすごくて、ご焼香のときに手にお香がくっついちゃって閉口しましたw
で、台本もなしに「ぜひお別れの場だけではなく、父の米寿を祝う気持ちで見送ってほしい」みたいなことをしゃべってたら段々こみあげてきて、 あれ? さっきまで全然悲しくなかったのになんで? うそでしょ? もう涙が止まらくなってマスクの下は鼻水だらけだわ、お見苦しい挨拶でしたが、よいスピーチだと褒められてホッと一息。 その後、お食事してホールに泊まって、母と、普段は離れて暮らしてる姉と、父との別れを惜しんで話したりしました。
開けて翌11日、お葬式。今日は全然こみあげてこないし大丈夫、あー昨日はびっくりしたなあ、と思ってたんだけど、 最後にお棺にお花いれるときに、家族といろいろ話しながらやってたらまた涙がドバドバ出てきて……マスクしながら泣くと、 ぱっと鼻がかめないで困るということを学んだ二日間でした。
それから火葬場にいって最後にお見送りをして、火葬の間お食事をして、お骨拾って、ってときにはもうさっぱりしたもんで、 へー人間の骨って焼くとこんな感じになるんだー、こんな大きさの骨壺に入っちゃうんだなあ、そんなことを純粋に感じてました。
で、お骨になった父を連れて帰宅。青森から来てくれた叔父さんと姉貴も交えて話をいろいろしつつ、 最後に二人を駅まで送って、またまた礼服をクリーニングに出して、帰ってきて、経過をFacebookに投げたって感じです。
葬儀屋さんが届けてくれた花とかも飾ったら祭壇がすごい豪華になって、父も心なしかうれしそう。 施設に預けてから、正月に一時帰宅することはあってもず~~~~っと家にいなかったから、久しぶりに父がいる生活が四十九日までは続くことになりますね。
へーしゃの場合は1親等だと忌引三日なんですが(一般的かな?)、金曜日はもう行事的なことは終わったので比較的のんびりで、 午前中は水道料金の支払い請求の切り替えのために銀行に行き、ついでにインフルの予防接種も打って。 午後は役所にいって、葬儀屋さんが市からもらってきてくれたチェックリストをもとに各種手続きを済ませて、 その足で「手の皺と皺を合わせて」で有名な某仏具店に行き、仏壇や仏具の選定も済ませて。 いまの仏具っていろいろ便利? に進化してるんですねえ。 仏壇は母の寝室に置くことになってるので、母が気に入ったものを買えてよかった。
あとはおっかけで来るお香典も含めて収支弾いたり、まあ大イベントである四十九日の法要関係の手配と相続関係が残ってるけど、 とにかく喪主終えてほっとしました。よかったよかった。 もちろん父が死んでさみしいし悲しいけど、最後はホントに辛そうだったから、楽になってよかったという気持ちが大きいです。
今は朝晩、お線香は省略してお水換えてリンを慣らして、 「長いこと刻み食と経鼻栄養だったから、ご飯とかおやつとか食べられるようになってよかったねえ」 「お父さんは外面はいい人だったから、きっと常世の国に行ってもみんなに愛されるんじゃないかな」 「家族にはけっこうな人だったけどねw」 みたいな会話をしつつ日々すごしております。初七日は一緒にビールで乾杯しました。
ま、そんなわけで、人が亡くなるってのは大変だなあ、というつまらない述懐でしたよと。おしまい。長文読んでくれてありがとうございました。