FLOSS 論について雑感。
最初は Wassr でつぶやいたのだが、Wassr's not Miniblog という声が聞こえたのでこっちに書く。mixi と悩んだのだけど、ネタ的にこっちかなと。
やまねさんのブログ http://d.ma-aya.to/?date=20081124 と、
id:minahito_carp さんのブログ http://d.hatena.ne.jp/minahito_carp/20081103。
なおオイラは FLOSS の考えにそれほど通じているわけではないので、オイラのエントリだけを見て判断しないで欲しいです。ちゃんと両ブログ読んで、ご自分で判断してね。
オイラは KOF 2008 でやまねさんの発表みたりしてるから (d:id:naruoga:20081113)、やややまねさんよりの考えに誘導されている可能性は否定しない。
けど、やっぱりこの件についてはやまねさんに一票だと思うのだ。
そもそもさ、なんで FLOSS が成長し続けているかというと、「ある FLOSS がもっとよくなるという機能を実装したら、それを還元する」という行為によるものでしょ?
あなたが使っているそのツール、あのフレームワーク、どのライブラリ。みんなそうやって成長し続けてきたわけだ。そしてあなたはそれを使っている。
でね、FLOSS だからチューニングできるってのはまあ使う理由の一つになりえる。けど、FLOSS を使うのであれば upstream に上げられるような汎用性のあるチューニングをして使わせていただいているお礼という意味で貢献をするって気持ちを持とうよというのがこれまでの FLOSS 文化だと思うのですよ。
ただ、貢献のために余計な工数を払えないっていう人に FLOSS を使うなというのも閉鎖的だから、ただ使うだけならしょうがないかって気もする。
問題は、upstream にあげるために余計な工数を払うのなんか馬鹿臭いと読めるようなことを公然とブログに書いていることだと思う。本来の思想とは違うかもしれないけど、便利なので使わせて貰ってます、って気持ちならともかく、堂々と正当化されちゃうと、それは違うだろ、という気がするのです。ハイ。
そういう考えが当たり前になってしまうと、だれも FLOSS の向上なんてものにコストを払わなくなるから、非常に不幸な世の中になる気がするなあ。
KY とかじゃなくて、そういうことを考えて文章を物もしているのでしょうか。
と、思いました。